家具は日常生活で使用するため、部屋の中にそなえられる移動可能な道具類。一般的なものとしては、ベッド、椅子、テーブル、箪笥(たんす)がある。
しかし、現代においては、古いものから新しいものまでさまざまな様式が家具にとりいれられている。
現代の住まいの中でつかわれている家具で、もっとも高価なものは、じつは50年から300年、あるいはそれ以上前につくられた、アンティック家具である。
そして、現代の商売上手なデザイナーたちは折衷主義的な家具をデザインしている。
斬新(ざんしん)なデザインから特別な用途のためにつくられた歴史的な型の翻案、さらには古い家具の忠実な複製品まで、いろいろな家具がつくられている。
家具のデザインに対する要求は複雑である。
外見は機能と同じように重要視されるし、室内空間の造形を補助するような役割をも家具にもとめる傾向もあるからである。
実際、柱の形を脚のデザインに採用した家具など、建築的な形態の家具もあれば、動物の形を模した脚をつけた家具もある。
また、シンプルなデザインもあれば、技巧をこらしたデザインもある。
ただし、デザインをシンプルにするか技巧的にするかは、時代によるというよりも、その用途によって決定されたと考えるほうが適切である。
たとえば、古代メソポタミアの財産目録のような、もっとも古い記録の中にも、金の掛け布や、金箔をはった家具で豪華に装飾された部屋のことが記載されているし、古代エジプトの現存する家具の中にも、技巧をこらしたものや当初金で表面がおおわれていたと考えられるものがある。
ところが、その一方で、古代には非常に単純な形の家具もたくさんつくられた。
家具の歴史をみると、優美な家具は古い家具の中に多いと感じるかもしれないが、それは一般に上等な家具ほど大切に保存されてきたからである。
さらに、もう一言つけくわえれば、高度なデザイン様式であればあるほど、新しい思想の影響をうけて変化しやすいため、技巧的なデザインがもっとも時代を反映するということも事実である。
農民や労働者のためにつくられた、シンプルな家具は純粋に機能だけを追求しており、その意味で時代をこえた存在といってもよい。前1800年ごろの労働者がつかっていたテーブルや椅子は、1800年ごろの農家でつかわれていたテーブルや椅子におどろくほど類似している。
また、1600年代のオランダの風俗画と、19世紀初頭のいなかの家の室内をえがいたアメリカの絵画は、ときに、おどろくほど似ている。
先史時代の住まいと家具を正確に復元することは不可能である。
したがって、家具の歴史は、現存する最古の家具、すなわちエジプト古王国時代(前2千年紀)の第4王朝から第6王朝の家具の検討からはじめなければならない。
古代エジプトの家具
乾燥したエジプトの気候と手のこんだ埋葬法のおかげで、スツール、テーブル、椅子、長椅子など、当時の家具が後世までのこることになった。とくに椅子やテーブルのような大きな家具では、古代エジプトでよくみられる、ほぞ穴にほぞをさしこむ構造が今なお利用されている。
もっとも、作業効率をあげるために、小さい木切れのだぼを、接合したい2つの部材のほぞ穴にさしこんで接合することも現在ではおこなわれている。
もっと精巧な箱や箪笥の側面を接合するときには、互いの部材の凹凸を箱の角の部分でくみあわせる蟻継(ありつぎ)の手法が採用されているが、これも現代に継承されている技術である。
カイロ博物館にある、ヘジレの墓から出土した前2800年ごろの木の板には、動物の足をかたどった脚をもつ椅子がえがかれている。これは同じ博物館に保管されている新王国時代の王ツタンカーメンの墓から出土した、前1325年ごろの椅子と大きな違いはない。
ギーザにある第4王朝のヘテフェレス女王の墓で発見された、家具の表面をおおっていた金の被膜の残存物から、前2600年ごろの椅子、長椅子、天蓋(てんがい)が復元されたが、それらの家具には動物を模した脚がつけられているほか、椅子には板の背やパピルスの形を模した肘(ひじ)掛けなどがつけられている。
頭のほうが高くなっているベッドには、頭をおく場所と足板がつくられている。
また、いくつかの家具にある浮彫の飾りは、神のシンボルや宗教上重要な場面をほったものである。
その一方、テーブルや椅子の中には、うつくしくはあるが簡素な脚をつけただけの、デザインを抑制したものもある。
これらの家具はもともと型押しした金属板でおおわれていたと想像されるが、壁画には簡単な革張りの家具もえがかれている。
現存する実例や壁画の描写から、家具につかわれたさまざまな装飾方法を知ることができる。
金箔をはる手法は椅子やテーブルの脚につかわれている。
象牙などの象嵌は箪笥のパネルやほかの表面仕上げにもちいられている。
擬人化された脚をもった家具や建築のミニチュアのような収納家具は、古代エジプト文明でもそれを継承した文明でも一般的なものであった。
メソポタミアの家具
メソポタミア文明の家具の実例はまったくのこっていないが、象嵌や浮彫にえがかれた家具をとおして、当時のティグリス・ユーフラテス川流域の家具を想像することはできる。前3500〜前800年ごろのそうした作品の中には、テーブルや腰掛け、王座などがえがかれている。
前3500〜前3200年ごろのシュメールのスタンダード(軍旗)には、ひじょうにシンプルな椅子と王座をえがいた貝の象嵌がある。
また、前2685年ごろのシュメールのハープには、豪華で色彩豊かな象嵌がほどこされており、金箔をはった、あごひげを生やした雄牛の頭がついている。
前2300年ごろにつくられた石碑と考えられる石板には、背もたれのない王座が彫刻されている。この王座は優雅な革張り製だったと思われるが、そのまっすぐな脚には飾りはない。
前9世紀のアッシリア王アッシュールナシルパル2世とその王妃のレリーフにみえる家具は、より技巧的である。
その机や王座はトランペット形や動物の形の脚でささえられており、装飾的なレリーフがちりばめられている。
ミノス文明、ミュケナイ文明の家具
青銅器時代のギリシャ本土でさかえたミュケナイ文明であれ、エーゲ海の島々でさかえたミノス文明であれ、そのころの家具の例をみつけることはひじょうにむずかしい。そんな中の唯一の例外は、クノッソス宮殿(前1600?〜前1400?)の石の王座である。
ただし、この王座もテラコッタと同様に、基本となるデザインをみると様式的に発展しているとはいいがたく、デザインよりも機能や素材のほうがエーゲ文明では重視されていたといえるだろう。
さらに、現存するスツール、椅子、寝椅子、長椅子、箪笥でも、技巧的な装飾をほどこしたものはない。
ただ、象嵌や金の装飾をつけた家具についての記述がある銘板がわずかに発見されている。
また、テーベで発見された1本の象牙の脚も、技巧的な装飾の例としてあげられる。
古代ギリシャの家具
古代ギリシャの家具は、メソポタミアの家具と同様に、絵画や彫刻によってよく知られているが、完全な形でのこっている例はひじょうに少ない。こうした古代ギリシャの家具に関する資料から、ギリシャのデザイナーたちが初期エーゲ文明の自由な形態を踏襲しなかったことがわかる。
彼らは、建築装飾をもとに家具の装飾をおこない、デザイン全体の対称性や規則性を重視する傾向があり、これは先行する古代エジプトの傾向を踏襲しているようにみえる。
しかし、両者が類似した傾向をもっているとはいっても、たとえばエジプトのベッドとギリシャの寝椅子では機能がまったくちがう。
ギリシャの寝椅子は、休息と同時に食事のときにも利用されるため、テーブルの高さと同じかそれよりやや低い位置に、もたれかかる部分を水平もしくは傾斜する形でつくっている。
頭をおく部分は枕を支持するために湾曲してつくられることもあり、足置きのほうはギリシャではつかわれない。
ときに動物の足を模した家具の脚がみられることもあるが、トランペットを逆さにした形の脚や柱の形をもとにデザインされた四角形の脚のほうが一般的である。
スツールはいろいろな形のものが製作されている。
X脚の折り畳み式のものや、まっすぐな脚の据え付け型のものも、少なくとも、前6世紀からヘレニズム時代までの間には製作されている。
技巧的なものと同様に機能的で装飾のない家具もつくられている。
ギリシャの家具の中で特色ある革新的な家具とされているのは、クリスモスという名で知られている背もたれ付きの軽い椅子である。
非常に広く普及していたこの椅子は、おもに前7〜前4世紀のアルカイク・クラシック時代に使用された。
クリスモスには原則的に飾りはなく、座席の下に湾曲した脚がつき、背もたれは中央がくぼんだ形の四角形の板でできている。
絵画にえがかれたテーブルは、がいして小さく、テーブルの板は四角形が一般的である。テーブルの脚はふつう3本で、脚の上のほうを補強することもある。
また、脚の形は単純なものが多いが、動物の形を彫刻したものもある。
文学作品や絵画などによれば、古代ギリシャの典型的なテーブルは軽量だったと考えられる。
食事がおわると、芸人が芸をおこなう場所をつくるために、食事のときにつかわれたテーブルがかたづけられたりしているからである。
なお、ギリシャ起源の円形のテーブルはヘレニズム時代に製作されるようになった。
古代ギリシャのチェスト(櫃:ひつ)は、ミニチュアから巨大なものまで、さまざまな大きさのものがあり、デザインも飾りのない、平らな蓋(ふた)のものから、屋根型の蓋をつけた、より建築的なデザインのものまでいろいろある。
豪華なものは、木、青銅、象牙などさまざまな材料をつかっており、建築的な装飾がほどこされている。
チェストの形態は、古代エジプト以来、19世紀の民衆たちが使用していたものまで、長く変化することなく継承されている。
古代ローマの家具
古代ローマの家具は、ギリシャの家具から発展したものと考えられている。一方、ヘレニズム時代のギリシャでひろまった、新しい収納家具の起源や成立した時期については疑問が多い。
食器棚(→ 棚)がこの時代にひろまったという説も、確実な証拠があるわけではないし、ローマ時代の壁画にみる食器棚の例もたぶんギリシャの絵のコピーであろう。
しかし、ヘルクラネウムにあるラレス神をまつる祠(ほこら)のある住宅からは食器棚が発掘されている。
現存する実例から、古代ローマ人はギリシャ人以上に大理石や青銅製の家具をつくっていたと考えられる。
また、ローマのデザインは同じような装飾要素をつかった場合でも、ギリシャのデザインより複雑である。
また、ギリシャでは小さなテーブルが一般的であったが、ローマではいろいろな大きさの四角形や円形のテーブルが使用された。
また、分解できるテーブルや、脚がおりたためるテーブルもあった。
古代ローマ時代の文学作品の中には、優美な象嵌をふんだんにつかった家具や、象牙、青銅、大理石、木の技巧的な細工をほどこした家具のことがのべられており、そうした記述を裏づけるような家具の断片もたくさんみつかっている。
ビザンティンおよび中世初期の家具
初期キリスト教時代(3〜7世紀)、ビザンティン時代(5〜15世紀)の工芸品は非常に沢山残っているが、家具の形跡をしめすような資料はヨーロッパ社会でもビザンティン社会でも奇妙なほど残されていない。ビザンティンの唯一のこる家具に、ラベンナの大司教博物館にある550年ごろのマクシミアヌス司教座がある。
これは木の骨組みを象牙の浮彫でおおったものだが、この時代の豪華で様式化された装飾をしめしており、ビザンティン時代の世俗的な家具のデザイン手法もこれと同じようなものであったと想像される。
パリの国立図書館にある600年ごろの、いわゆるダゴベルト1世の王座は、青銅製の折り畳み式スツールで、古代ローマ以来おなじみの動物の足の形の脚をつけているが、ローマ時代のものよりはるかに力強い作品になっている。
5〜9世紀のいくつかの写本やモザイク作品からわかるとおり、ローマの影響がなお継続しているものの、細部をより抽象的で単純なものにしようという傾向がビザンティン時代の職人の中に生まれていることがわかる。
たとえば、ローマの高浮彫は平面的な模様におきかえられたりしている。
その一方、この時代の彩飾写本がしめしている保守的な様式主義は、家具においても指摘することができる。
11、12世紀、つまりロマネスク時代は精神主義が復活し、西欧各地に新しい教会が建設された時代として知られているが、この時代の家具についての資料はほとんどない。
ロマネスクの家具を考えようとするとき、参考になるのは12世紀のフランスの彫刻群くらいであろう。
これらの彫刻をみると、ギリシャやローマの装飾が単純化、図式化されて解釈されたものが利用されていることがわかる。
12世紀のスカンディナビア半島で製作された、ろくろ仕上げの脚をつけた椅子がいくつか残っているが、その精神はロマネスク的である。
また、それより少しのちに製作された木製のチェストには、ロマネスク様式の図式化した幾何学模様が彫刻されている。
Last update:2017/7/12
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