デザインや様式的な要素が加わった家具の誕生

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様式美がプラスされた家具

ゴシックの家具

ゴシック建築は、尖頭(せんとう)アーチや飛梁(とびばり)などの発明によって、劇的な空間効果を教会の中につくりだした。

しかし、12世紀の家具のデザインといえば、そうした新しい様式の影響をまったくうけていない。教会の建築を援助した人々はシンプルで機能的なオークの家具をこのみ、タピスリーや金属工芸でそうした家具を装飾していた。

ゴシックの装飾的な要素、とくに尖頭アーチなどは1400年ごろまで家具の装飾にはつかわれていない。

しかし、その後は100年以上にわたって、アーチやトレーサリー(はざま飾り)というゴシック独特の飾りが、さまざまな大きさの椅子の板部分やチェスト、テーブルに彫刻されることとなった。

15世紀には、いくつかの新しい形の家具がひろまる。
ひとつは、小さな収納部分をそなえた長い脚付きのサイドボードの一種で、上部に陳列のためのスペースがある。

収納部分に1、2段の棚をもうけ、開閉扉をつけた食器棚もつくられている。

もうひとつ重要なものに、1.5〜2m幅の背の高い大型衣装箪笥がある。

アーチ、柱、葉飾りなどの建築的なモティーフにくわえて、掛け布にヒントをえた装飾的な彫刻もみられるようになる。
たとえば、リネンのひだの模様を彫刻したモティーフなどがある。

初期北ヨーロッパ様式などでは、家具におけるゴシックの影響は16世紀初めまでみとめられる。

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ルネサンスの家具

ルネサンスの絵画、彫刻、建築は1425年まではイタリアで発展した。
しかし、15世紀のイタリアの家具のデザインは、シンプルで機能的なデザインを志向していた。

イタリア

イタリア・ルネサンスの家具における最初の革新は、カッソーネとよばれるチェストである。
彫刻や漆喰(しっくい)で技巧的な装飾をほどこした上に、金箔をはったり彩色をしてしあげたもので、デザイン的には古典的なデザインに基礎をおいている。

カッソーネの形はローマの石棺からいくらかのヒントをえたものだろう。
初期のカッソーネには、国際ゴシック時代の物語「薔薇物語」の場面をえがいたものがいくつかある。

15世紀の絵画にえがかれた室内空間、たとえばカルパッチョの「聖ウルスラの夢」(1490〜95)や、フィレンツェのサンタ・マリア・ノベラ教会にあるギルランダイオの「聖母の誕生」(1485〜94)などの室内描写は、15世紀末の盛期ルネサンス以前のイタリア家具のデザインがまだ抑制されたものであったことをしめしている。

豪華な寄せ木細工、想像にとんだ彫刻、初期の家具でこのまれたオーク材の代わりにクルミを使用する点などは、1500年代の家具のより華やかな成果を特徴づけるものである。
また、それより前の時代とくらべ、さまざまな形態や豪華な装飾がつかわれるようになっている。
布や革をはった携帯用折り畳み椅子が復活し、彫刻した背もたれや脚の代わりに彫刻した板で座席をささえる新しい形の椅子も登場する。

フランス

ルネサンスの影響を反映する1500年代のフランスの家具には、いっそう豪華な装飾がみられる。

フランソワ1世やその息子アンリ2世の宮廷は、イタリアの芸術家たちをやとうことで、ルネサンス様式をフランスに導入した。

アンリ2世の時代には、建築家ジャック・デュ・セルソーのデザインを、家具用にかえて利用されたりしている。

古典的なモティーフを複雑にならべる彼のデザインが、家具を装飾する彫刻につかわれ、ルネサンスの新しい雰囲気をかもしだしていた。

家具師のユーグ・サンバンは、独創的な彫刻で装飾した彼の作品をあつめた大型本を出版し、大きな影響をあたえた。その特色ある作品は、彼が新しい古典主義に対して、深い理解をしめしていたことをあらわしている。

16世紀のデザイナーたちの流れは、そのまま17世紀の様式にまでもちこされた。
柱のような脚をつけたテーブルや板の背もたれをつけた特徴ある椅子は、1560〜70年代にはじめて製作されたが、それらは1600年以降も製作されつづけた。

17世紀初めにはデザインにもわずかな変化がおこりはじめ、1610〜43年のルイ13世の時代になると、家具は16世紀の形態を踏襲しながらも、デザインはいっそう優美になり、彫刻の代わりにめずらしい黒檀(こくたん)や高価な鼈甲(べっこう)をつかうことがふえてくる。

イギリス

イギリスのルネサンスの家具はフランスに比較して、基本的によりシンプルである。
細部彫刻の優美さもおとるし、ろくろ挽(び)きの部材の装飾も単純で、葉飾りのモティーフも平面的で形式化している。

材料は、16世紀のイギリスではあいかわらずオーク材が主流である。
そして、フランスの場合と同様、ルネサンスのデザインに対する関心はイギリスでも17世紀の中ごろまでつづいた。

オランダ

ルネサンスの形への関心は、17世紀の出版物の中にいくつか記述されている。
ヤン・フレーデマン・デ・フリースとクリスピン・ファン・デ・パッセによって、アムステルダムで出版されたデザインに関する2冊の本は、17世紀初頭のデザイン界に大きな影響をあたえた。

オランダの家具は、フランスの家具よりイギリスの家具のほうに近いといっていいだろう。
ルネサンスのデザインは1650年代、あるいはそれ以降になっても人気があった。

オランダの家具でひじょうに特徴あるものとしては、大型の衣装箪笥がある。
これは、箪笥の上部に太く前方にかぶさるような軒蛇腹の装飾をつけ、扉にもとびだしてくるような装飾くり形をつけて3次元的な厚みを感じさせるもので、北アメリカのオランダの植民地ではこれが後代までつかわれていた。

ヨーロッパ各国ではそれぞれに独特のデザインを発展させるが、上記の本の影響からか、オランダの影響をみとめることができる。

スペイン

スペインでも、ルネサンスの新しい考え方はデザインに影響をあたえたが、一方で、長くつづいた独自のイスラム文明の伝統も生きつづけた。

スペインは東方イスラム社会との直接的な接触を長期間はばまれていたが、タイルや革製品にみられる優美な模様、木、鉄、金あるいは金箔を大胆に融合させたデザインは、イスラム文明の影響がつづいていたことをしめしており、16、17世紀になってもスペインでは高い人気があった。

バロックの家具
バロック的な家具のデザインが顕著になるのは、イタリアのバロック時代の建築家ベルニーニやボロミーニがローマで画期的な作品を製作しはじめたころから数十年ほどへた、17世紀の後半になってからのことである。

17世紀初頭には、家具の表面のデザインには新しい傾向がみられるが、それは形にまでおよんではいない。

ところが、17世紀の終わりごろになると、おびただしい変化が家具におこる。
なかでも、カリアティードとよばれる女神や女性の像の柱をつかったり、巻物の形の脚や螺旋(らせん)状にねじれた脚をつけたりする点などは初期のルネサンスにはなかった特徴である。

17世紀の末になると、洋服箪笥や整理箪笥のような大きな家具の正面に、バロック様式の建築形態を反映した曲面がもちいられはじめる。

そして椅子も、豪華な彫刻をほどこした背もたれの高い形が流行した。
また、イギリスでもヨーロッパ大陸でも、座席の部分や背もたれに革をはる代わりに、籐(とう)細工をもちいたりした。

なお、シンプルな椅子の場合には、彫刻の代わりにろくろ挽きの部材をもちいたりしたが、それでも背もたれは高くなっていた。

フランスのバロック

この時代の家具でもっとも優美で技巧的なものは、ルイ14世の王宮のために製作された家具である。

傑出した家具職人ブールは、かわった形の家具をつくり、それを白目(しろめ)、金箔、青銅、銀などの金属や鼈甲、黒檀をくみあわせた象嵌細工でかざった。

彼のデザインは、古典的なモティーフをイメージ豊かにならべたもので、いくつかは古代ローマのフレスコ画から想をえたものと思われる。金箔をはった柱形の脚が、テーブル、椅子、チェストをささえている。

イギリスとアメリカのコロニアル・バロック

イギリスではバロックの影響は、寄木細工がもっとも多くつかわれたウィリアム3世と妻のメアリー2世の時代の作品にしばしばみられる。

いっぽう、北アメリカ大陸では、17世紀の後半までルネサンスのデザインが重要な地位を占めていた。
また、アメリカの職人たちは、エリザベス朝、チューダー朝時代の形式をもちいたりもした。

それは、アメリカにはじめて移住した人々がオーク材でつくりだしたピルグリム様式をイメージするものであり、茶色の染みをわざわざつけてその時代の雰囲気をだそうとしたりしている。

20世紀のアメリカの家具

1946年まで、アメリカにおける家具のデザイナーは、何人かの例外はいたが、ヨーロッパの家具に強い影響をうけ、それを模造するだけの影のうすい存在であった。

1939年までのアメリカの家具

19世紀から20世紀の変わり目の時期にアメリカにおけるアーツ・アンド・クラフツ運動によって、多くの工房や家具製作所が設立された。

ミッション様式をつくりだしたグスタブ・スティックリーもそのひとりである。
彼はカリフォルニアの教会にあった古いスペインの家具をモデルとしている。

彼が1900〜13年に製作したオーク材の家具は、直線的で、シンプルで、実用的であり、装飾といえばうつくしい形の金物がつく程度である。

アメリカの家具を大量生産した工場主たちも、このミッション様式を積極的にとりいれて、スティックリーの重々しい感じの作品を模造し、これを大量生産した。

もともと自分自身で使用する家具としてデザインされた、ティファニーの作品をのぞけば、はっきりとアール・ヌーボーだといえるような家具はアメリカでは製作されていない。

アール・デコの家具も、その大半は質のわるい大量生産品ばかりである。
もちろん、例外もある。1932年にドナルド・デスキーの事務所が製作した、ニューヨークのラジオ・シティー・ミュージックホールはアール・デコのデザインによる豪華なインテリアと家具で有名である。

アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトも家具をデザインした。
しかし彼の場合、家具はあくまでも建築に付随するものにすぎず、それまでの様式を無視して独自の家具が製作され、建築のモティーフが家具にも利用されたりしている。
ライトは一貫して、建築と融合した、作り付けの家具をこのんでいた。

現代アメリカの家具

第2次世界大戦後の10年間、アメリカの家具デザイナーたちが、めざましい活躍をした。
建築家のチャールズ・イームズとサーリネンがその代表である。

彼らは戦争中に開発された木材、金属、プラスチックへの技術を応用して、金属製の脚の上に微妙にカーブした合板の座席をおき、その上にやわらかい革の上張りをした、いわゆるイームズ・チェアや長椅子をデザインしている。

1956年に、サーリネンは成形プラスチックや金属をつかったさまざまなタイプの家具をデザインしている。

ワイングラスのようなシルエットの白いワイングラス・チェアには、鮮やかな色の生地でつくられたクッションがおかれ、サイドテーブルから会議用の机まで、いろいろなサイズの机には大理石か木製の天板がのせられている。

すぐれたデザインのほかの現代家具と同様、これらの作品は大量生産によってひろくコピーされた。

このほかにも、才能あるデザイナーとして、1952年に金属の網をつかった軽量の椅子を製作したハリー・ベルトイアやサーリネン、のちにニューヨークにある家具会社ノル・インターナショナル社の社長となったフローレンス・ノル、18・19世紀のシェーカー教徒たちがつかったシンプルで機能的な家具に基礎をおいていたポール・マッコブらがいる。

日本の家具

日本の家具は、住宅の建築様式の違いによって、欧米とは大きくことなる特徴をもっている。

日本の住宅は開放的な木造建築が主流で、柱と屋根によって住宅の構造の基本がきめられ、住宅の内部は開放的な移動性の戸によってしきられていた。

また土間と区別して板張りの床をもうけ、人々は履き物をぬいで床にあがり、畳や円座などをおいた部分にすわったり横になって生活した。

そのために下駄箱という日本独特の家具が生まれた。

桃山時代にはじまった書院造が一般に浸透するにつれ、畳敷きの部屋で起居することがふつうになった。

それぞれの部屋は障子や襖などの遣り戸(引き違いの戸)によってくぎられ、戸をあけはなせば、いくつもの部屋をつなぐこともできた。

こうしたことから、障子、襖、欄間などの建具にさまざまなデザインをこころみ、床の間、違棚などの座敷飾りに意匠がこらされたが、これらはほとんど建物にくみこまれた家具であった。
また屏風、暖簾、簾などの間仕切りの家具が発達し、このような伝統のうえに襖絵や障子絵などの障壁画が発達した。

日本では明治以後に西洋家具が入るまで、家具全体をさす言葉はなかった。
畳にすわる生活を主としていたため、椅子や脚付き箪笥、ベッドといった脚付きの家具は、仏教儀礼用をのぞいてほとんど使用されなかった。

日本の伝統的な箪笥にはキリ、スギ、モミ、ヒノキ、ケヤキなどが利用された。
キリの箪笥の白い木肌の美しさを重んじる一方、ケヤキやクワなどの木目を生かした漆工芸などのさまざまな細工がほどこされた。


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